は・い・か・い
徘徊。文字で目にすると、意味分かります。でも、会話の中で、この言葉を耳にするとき、「?」。言葉と意味をつなげるのに、私の脳回路は、一呼吸必要でした。
認知症の人たちやその家族を地域で支えようと、行政が取り組んでいます。先日私が参加した「認知症サポーター」の養成講座もその一つです。認知症という病気について理解すること、そして、認知症の人たちに対してどう接するのがいいのか、学びます。
講座を終えて、参加者たちによる意見交換の場になりました。福祉施設の職員や民生委員など、日ごろ福祉に携わる人たちに交じって、地元の警察官の方が質問されました。「『徘徊』している人を見かけたら、どんな声掛けをするといいですか?」
「徘徊」という言葉が、あまりに当然のように、飛び出してきたので、私は戸惑いました。その警察官がおっしゃるには、その講座の前日にも、夜パトロールしていたら、毛布を胸に抱きかかえたおじいちゃんが夜道を歩いていたといいます。「これは明らかにおかしい」と、保護して、後で家族に尋ねたら、そのおじいちゃんは認知症だったそうです。
一方、私が住む地域で、「徘徊」なんて意識したこともありませんでした。でも、うちの近所でも起きているのですが、きっと知らないだけなのです。私は認知症予防に関する資格も持っていますし、実父が一昨年に亡くなる前、認知症を患っていたこともあり、認知症には関心があり、知識も多少持ち合わせているつもりでした。
でも、自分の家の近所で、もしかしたら徘徊が起きているかもしれないなんて考えもしませんでした。心構えのなさを反省するとともに、認知症は本当に身近な問題であることを痛感しました。
85歳以上のお年寄りの2人に1人は認知症、などのデータを持ち出すまでもなく、今の日本で、認知症はもはや「他人ごと」ではありません。まさに「我が事」です。けれども、いざ、自分の家で、親や祖父母が認知症かもしれない、となったときに、周りがなかなかその事実を受け入れられず、誤った対応を取り続けてしまった結果、認知症の症状を悪化させてしまい、認知症の人も、その周りもすっかり混乱し、疲弊してしまうような悲劇が繰り返されています。
認知症について学び、理解を深めることができれば、それに越したことはありません。でも、そこまでしなくても、認知症は「我が事」で、自分の身の回りでいつでも起こりうる、ということを、普段からちょっと気に留めておくだけでも、できることはたくさんあります。
いま、行政だけでなく、民間やNPOなど、相談できるところはたくさんあります。だから、逆に、自分の身近で、認知症の方が出てきた場合も、一人で抱えこむことはないということです。「心構え」だけは普段からしておこうと思います。