土地を継ぐということ(後)
私が相続を考える上で衝撃を受けた本。そのタイトルは、「静止力」(えらいてんちょう著)といいます。
そこには、「聖なるものをなくしてはいけない」とありました。そして、「聖なるものとは、なぜだか分からないけれどずっと存続している文化だったり、風習だったり、宗教だったり、さまざまなものです。」と説明されます。
仕方がないことかもしれませんが、私たちは、今の価値観で、何でもかんでも判断してしまいます。今の世の中を支配している価値観と言えば、たとえば、コストパフォーマンスとか、損得勘定とか、でしょうか。だから、土地を相続するというときにも、「この土地は地価が高いから、持っていると自分や家族にとって得」「持っていても、管理費だの、固定資産税だの、費用ばかりかかるだけだからいらない」などと、現在の経済感覚で考えてしまいます。
でも、そういうことだったら、つまり、土地も、その他のモノや商品と同じように、必要なら使って、不要なら手放して、といった簡単な存在だったなら、うちの不動産だって、特に山などは、その土地自体にほとんど値打ちはないわけだし、管理だって自分じゃほとんどできないんだから、すでに亡き父が後世のことを考えて、処分していてもおかしくなかったはずです。
父はそれをしなかった。自分が親から引き継いだ財産を、引き継いだまま、右から左に子ども(つまり私)に、引き継いだ。父には父の考えや思いがあったと思います。いや、なかったかもしれませんが(笑)。それは、今となっては分かりません。
でも、その時々の所有者が、その土地にどんな思いを抱いていたのかは、そんなに重要ではないと思うのです。むしろ、その時々の時代の価値観に流されず、代々続いてきたものを、そのままの形で次世代に受け渡してきたという事実を重く受け止めたいと思うのです。
近い将来、日本では、空き家が大問題になると思います。いま田舎の実家に住んでいるのは親だけ。子どもたちは別の場所にそれぞれの家を持ち、実家に戻る予定もない。親が亡くなれば、実家は空き家となり、その周辺の山や田畑は管理する人がいない。田舎だから売ろうにも買い手がいない。すでにそんな相談も受けることがあります。今から20~30年後、日本の山間部はどうなるのでしょうか。
冒頭の著者は、土地を守ることが大切、なぜなら、そこには先祖の骨が埋まっているから、といいます。さらに、自らの民族が生き、死んできた歴史というのは、土地と共にある、とも書いています。ちょっと話が大きくなりすぎ、と思われるかもしれませんが、これまで代々続いてきたことには何か大事なことが隠されているかもしれないと考えること、そして、今自分たちが当たり前に考えている価値観はもしかしたら間違っているかもしれないと考えること。「聖なるもの」という視点で、もう一度、我が家の相続を考え直したいと思っています。